東福窯について

東福窯について

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父から子へ…
受け継がれる京焼伝統の心と技

この度ホームページを制作するにあたり、これまで続けてきた自分なりの作陶の一つの結果を皆様に見て頂きたく、このような場を設けさせていただきました。
自由、未来、空想、愛を理念とし、自分自身でのお茶碗でお抹茶を一服したい、と言う、単純な、心意気を感じて頂ければ幸いです。
ご協力して頂きました、沢山の方々、そしてこれから私の作品に何かを感じ、御笑覧頂ける方々に心から感謝を申し上げます。

中村源水(げんすい)略歴

  • ここに歴史がはいりますよ
  • ここに歴史がはいりますよ
  • ここに歴史がはいりますよ
  • ここに歴史がはいりますよ

中村能久(よしひさ)略歴

  • 昭和26年 京都、五条坂に生まれる
  • 昭和44年 京都府立陶工訓練校に入校
  • 昭和50年 東福寺近辺に築窯
  • 京焼清水展、創造美術展など入選多数
  • デパート等での個展多数

大徳寺 聚光院と東福窯

『二代源水の作品は京焼の基礎を踏まえつつ、色絵を中心として彼の明朗闊達な人間性による天性の色彩感覚とデザインセンスでこれからの茶陶を予感させる』

父、中村能久(初代源水)は高取焼(たかとりやき)窯元、初代 鬼丸碧山(おにまるへきざん)先生と親交があり、碧山の知遇を得て、当時大徳寺 聚光院の住職であった小野澤寛海(おのざわかんかい)和尚により源水の号を拝受し、聚光院の出入りを許された。
後に、小野澤虎洞(おのざわこどう)和尚が住職となり、二代 源水が薫陶を受けている。

P1010115 銘 紅葉2
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大徳寺 聚光院は室町幕府12代将軍義晴に仕えた三好永慶(みよしながよし)の養子。義継が永禄9年(1566年)に養父の菩提を弔うために笑嶺宗訴(しょうれいそうきん)を開山として建立。千利休が開祖・笑嶺和尚に参禅したことから、利休の墓をはじめ、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代の墓所となっている。